「ただの岩が、こんなに価値のあるものだった」ってあなたが気が付く日
クリス・シャーマ
ダニエル・ウッズ
アシマ・シライシ
そして、先日TNFCで来日したアダム・オンドラ
世界的に有名なクライマーですが、この名を聞いたことありますか。
(4人ともベースキャンプに来ました)
彼らがなぜこれほどまでに世界に名が知られるようになったか、分かりますか?
有名になった共通の理由、
それは・・・
外岩ですごい結果を出したからです。
彼らはインドアのコンペでも活躍していましたが、例外なくアウトドアへ行きついています。
なぜか。
それは外岩にクライミングの不変の価値を感じたからだと思います。
外岩って登れたときの嬉しさがハンパないんですね。
長いクライミング・ライフで
「インドアだけでクライミングを完結させてしまっていいのか?」
と思いませんか?
クライミングの不変の価値をあなたも知りたくありませんか?
すでにあなたは日本で最も有名なボルダリング・エリアの近くにいる
「ボルダリング」がクライミングの一ジャンルとして確立する以前から登られていたエリアが御岳。
その当時はもしかしたらグレードという考え方すらなかったかもしれない。
やがて日本でもボルダリングの課題をグレーディングしようということになります。どれだけ難しいかを知るために。
ちなみにこの頃はまだクラッシュパッドなんてものはありません。
落ちたら、地べた。
当時のボルダラーは、何やら求道者の気配・・・。
ここで作られたのが~級~段という武道や書道などの日本の武芸で用いられる階級制度でした。
これを考えた人は誰だか知っていますか?
石の人草野俊達さん
この段級グレードはもうすっかり日本のボルダリングに馴染んでいます。
ではいったいどれを何級とするのかという大きな問題があったはず。
そこで基準になったのが御岳なのです。
今、あなたが登ったときに感じるグレードってありますよね。
4級とか5級とか。
日本でボルダリングする全ての人に植えつけられるこのグレード感覚の、最初の基準を作ったのが草野氏ということになります。
その功績は大きく、日本のクライミング史に名を残しました。
そしてその基準課題が「忍者返し」(もうひとつは小川山の「エイハブ船長」)
「忍者返し」が初めて登られたのは、実は段級グレードができる前のことです。
池田功氏。
登られた当時は、どのくらいの難しさとされたのでしょうか。
後に、これを「1級」として、難易度の基準グレードにされました。
ベースキャンプのボルダーもこのグレード感を参考にしてます。
御岳が日本で最も有名なのは、日本のボルダリング・グレードの基準となったエリアだからです。
この御岳で、いよいよベースキャンプのアウトドアスクールを行います。
4/24(日)
そこらへんに転がっているただの岩が、4/24にきっと価値あるものに見えてきます!